オウム真理教信者で高学歴死刑囚に共感する自分

オウム真理教の組織や犯罪を信じられない理解出来ないと思う人は多いと思う、しかし乍ら私は彼らが何かをきっかけにこの組織に埋没した理由を大変良く理解できる、日本と言う社会は門切り型・きれいごとを良しとする社会通念や道徳心が蔓延りこういう人はこうなるとかこうあるべきであるとかいう理想や考えが強い世の中であると思える、しかし乍ら人間個人はつまらない事で考えや気持ちが変わってしまう生き物で、彼らオウムの人々は入信する前からこの世の中にうんざりしている上にそこそこの知識と教養を身に着けていた為、敷かれたレールから外れた麻原にこれは何か新しい物を自分に与えてくれる感じたにまず間違いないと思う。もし私が何かのきっかけでオウムに触れていたなら間違いなくその一員になっていただろうと感じるからである。