思い起こせば1985年

 今になって思い起こすと1985年私は大学3年生であった、当時文京区大塚のアパート(とはいっても山の手なので大きな家の2回を間仕切りした部屋)に住んでいた頃今の様にインターネット等は無い時代であったが、マスコミ志望の私は新聞・雑誌・書物・テレビ・ラジオから様々な情報を取捨選択していた。当時労働省が日本の経営者が会社を営みやすいように正規社員ではない周辺労働者といった表現でそのような労働階級の創設を企んでいるといった情報を得た。私は学生だったので4年で卒業氏し早く母親を支えなければと考えていたためそんな事は忘れ去っていた。同時期中曽根政権下で国鉄分割民営化の推進が行われ、国鉄の職員がいかにいい加減で怠惰であるかをマスコミが一斉に報道していた。今になって振り返れば前者は派遣労働の実施に繋がり後者は労働組合の解体を主眼に置いた政策であったことは疑う余地もない。それでは何故このような国民に不利益になる政策が行われそれが規制の事実として成り立ってしまうのかといえば一重に戦後アメリカが容認し資金援助まで行った自由民主党アメリカの意向通りにこの国を変えたことに他ならない。即ち今日本が行うべき重要課題は日米安保の破棄・米軍基地の完全撤退・対外資産の国内還流・日本独自の軍備施設の増強の4点以外考えられない、世の中がネットにより瞬時に繋がる時代である、フラット化した世界に他国の支配を受け入れる道理などないのだ、今こそ脱アメリカをしないと日本は一生隷属国家としてアジアの辺境の1国になってしまう(三島由紀夫談)