何を食べても生きていられる

飽食の時代と言われたのは一昔前の話であるが、誰もが高級と呼ばれる食材や料理を少なからずも1度や2度は食べた経験があると想像する、しかし乍ら歳をとるとそういう物がどんな感じでどんな味での推測は容易にたつ様になるため、余り積極的に食べたいとは思わなくなる。ありきたりなそこらで売っている物だけを食べていても今日も生きている自分を見つめると果たして人に必要なエネルギー源はたいしたものではないのであろうと感じる(戦時中の食事を見てもそれで人は死んではいない)であるならば、誰も老後に不安を感じることなく(病気は別・健康維持は需要)あくせく働かなくてもゆったりと時間を過ごし余生を終えればよいのではないかと感じてしまう。